甲子園での思い出

2018年10月1日月曜日

白根大凧随筆

 田上診療所 院長 七里雅男

 念願の阪神甲子園球場に行ってきました。私は高校、大学と野球部に籍を置き高校では硬式野球、大学では準硬式野球をしてきました。高校時代は秋の北信越大会で優勝し富山県営球場で石川県代表の確か(七尾工業高校)に9-0で惨敗、その夜に後援会の皆様から富山市の旅館で大きな豚肉のステーキを御馳走になった事を覚えています。当時は牛肉のステーキが殆ど手に入らなかった時代でした。
 医師になってからも大学の医局対抗試合では3番ショートを任され、病院に勤務してからも三条野球連盟で約10年間軟式野球部をやり当時、誰も投げる選手が居なかったので投手をやらされました。
 田上町に来て30年経ちますが5年前まで川の下野球倶楽部で7番セカンドで野球をやらせてもらいました。この野球倶楽部は高校野球の経験者が多く集まっており私はむしろ試合後の宴会でスポンサー的役割でありました。
 ところで私共の診療所の事務長が中越高校の現役時代に甲子園へ行きベスト16まで経験した人物です。今年の第100回全国高校野球選手権記念大会に県代表として中越高校が参加するのを機会に私もぜひ一度、甲子園球場へ連れて行ってもらいたいと中越高校の抽選を待っていました。
 初日の開会式の後、第3試合(対戦相手は慶応高校)と決定したので早速当日のチケットの申し入れをしましたが、すでに完売。ネット検索もしましたが他の日のチケットが数万円で提示されていました。事務長と相談した結果、球場で並んで当日券を購入するしか手段がないと分かり、8月4日(土)出発となりました。
 出発の当日8月4日(土)午前中の外来が午後3時過ぎに終了。約30分間休憩した後、阪神甲子園球場へ向け、私、事務長、事務長の長男(小5、少年野球の選手)の3人でマイカー(ベンツS550ロング)で出発しました。富山県、石川県、福井県、滋賀県、京都府、大阪府を抜けようやく兵庫県の阪神甲子園球場に到着しました。すでに夜の10時半をまわっていました。住宅地の中に巨大な球場がそびえており、すでに1,000人位の徹夜組が並んでおりました。
 甲子園球場は大正13年に建設され、甲(きのえ)と子(ね)が縁起が良い事から甲子園と命名されました。球場の正面に阪神電鉄の甲子園駅があり右脇に甲子園警察がありました。大勢の警察官や警備員が物々しい警備をしておりました。
 夜中の3時から徹夜組の後部に付いて並びようやく当日券を購入出来ました。(夜中の気温は33度でした)朝6時に入場、朝7時に入場が締め切られました。ちなみに入場ゲートは18ゲートもあり、迷子になりそうでした。それだけ巨大な球場であります。開会式では皇太子さまの挨拶、松井選手の始球式と私にとっては感動の連続でした。その脇ではブラスバンド部の女子生徒が熱中症でバタバタと倒れ始め、担架で運び出されていました。その光景はテレビでは放映されておりません。
 開会式の後、第一試合は星稜高校 対 藤蔭高校(大分)、第二試合は中央学院 対 済美高校と観戦して、いよいよ第三試合で中越高校 対 慶応高校戦が始まりました。慶応高校の応援団が見事であり迫力がありました。聞き慣れていた慶応の応援歌が最高の勢いでした。中越高校は惜敗しました。
 8月5日(日)の夕方6時半に球場を出発し、田上町に着いたのは翌8月6日(月)の午前2時でした。
 私は今年63歳になり体力も筋力も精神力も低下してきました。ずっと機会があれば甲子園球場へ行ってみたいと思っておりましたが、やっと実現しました。最初は少し旅行気分でしたが、実際は現地に行ってみると宿泊施設は全て満員でしたし猛暑の中、寝不足で観戦というのは正に闘いでした。しかし東洋一の巨大スタジアムを経験できたのは私の人生において貴重な思い出です。

 甲子園球場のお土産として甲子園タオル、甲子園カレーを大量に買い込んで帰途に着きました。

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