-銷夏随筆- "境目"にいる患者の教え,医師の思い

2018年2月6日火曜日

白根大凧随筆

新潟白根総合病院 院長 黒﨑功

 卒後30年以上,消化器外科の中でも肝胆膵領域の外科治療を行ってきたが,常に悩ましいのが切除可能と不可能の間にある境界病変に対する治療である.同じ病気でも,人それぞれの個体差,合併症や年齢,遺伝子や主義信条による相違のために,治療後必ずしも同じ経過を辿るとは限らない.そういった考えを根底に持つせいか,どうしても積極的に治療に向かうことになる.しかし,境界病変や一見切除不可能病変,重症合併症を持つ患者の治療に対して,結果の良し悪しに関わらずに同業者の視線はあまり暖かいとは言えない.
 私が外科医になって12, 3年ほどたったころ,重症合併症を持つ高度進行癌の患者を担当して,手術の理由を考えた.頭に浮かんできたのは中学生の時に読んだ“人間はどんな困難な場所に置かれても,生きていたいと願うもの”(意訳)という罪と罰のなかの一節であった.患者は肝3区域に及ぶ巨大な腫瘍を持った,70前半の紳士で,職業柄医者に既知が多かった.肝左3区域で切除可能である.ところが高度の狭心症を合併していた.90%以上の狭窄を筆頭にして3枝病変である.麻酔科は難色を示した.20年も以前でstent治療もまだ十分ではなく,もちろんバイパス手術の適応もない.患者夫婦は強く手術を希望しており,心臓外科医に相談したところ,バルパン下の手術を示してくれた.当時報告例も見当たらず,部内に否定的意見も多かった.しかし,もっとも驚いたのは,手術を数日後に控えたある日,大先輩の2名の高名な医師から,君のやろうとしていることはギャンブルだ,手術を中止しなさいと電話があった.一人は大病院の院長であり,もう一人は他大学の麻酔科の教授である.きっとご家族は手術に否定的であったのであろう. 納得はしていただいたが,こういった訴えは時に治療方針を180度左右する.この時教室から手術を否定されなかったのはラッキーだったのかもしれない.後日譚であるが,結局亡くなるまでの8年間に4回の残肝再発を来し,3回の部分肝切除を施行した.4回目の再発は切除しなかったが,進行した認知症のためであった.しかしこの経緯が正しく伝わっていなかった麻酔科教授からは,強い調子で「今回はなぜ切除しない」と大勢の目の前で叱咤されてしまった.
 私のやったことは,前向きで積極的な患者がいて,アイディアに優れた胸部外科医の薦めを取り入れ,優秀な麻酔科医や術後管理スタッフの存在下に,少々合併症少なく手術をしたに過ぎない.紙面の制約で,是非伝えたい“境目”にいた多数の患者を伝えられなかったが,境界病変に悩む患者,一見治療困難な患者は少なくない.患者自身,家族,医師それぞれに思うことがある.患者がどんなに時間と熱意をかけても,期待する結果がでるとは限らない.逆に偶然訪れた病院で,ただ淡々と診療を受けても信じられない結果がでることもある.運なのか,運命なのかは分からない.死は怖くない,医療に幻想を持つな,癌と闘うなという言う言葉は読者向けには分かりやすい言葉である.しかし,“境目”にいる癌患者を目の前にした時に,見てきたように死を語る必要はない.どんな重症な病態でも,治療を受けて良かったと感じてもらえるような医療を心がけたいものである.
(出典:日本病院会雑誌 Vol.64 No.7;29(769), 2017)

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